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長崎県の食文化

長崎県(島原藩)の食文化

調査班:正田真郷、古谷めぶき  調査日:2018年 3月 22-23日

目次

1. 風土・歴史

2. 調査した郷土食

2.1. 具雑煮
2.2. ぶらぶら漬
2.3. 撥ね木搾り製法(日本酒)

3. 最後に

 

1.  風土・歴史                                              次へ 目次

長崎県は平坦地に乏しく、山岳や丘陵に恵まれることに加えて、海岸線は多くの半島・岬と湾・入り江から構成され、総長4184kmにもおよぶ、全国でも北海道に次ぎ二位の長さを誇ります。そのため、食材も海の幸・山の幸ともに恵まれたおいしいものが沢山の県と言えるでしょう。

また、地理的に東アジアから近いことから、中国やその他の国々との関わりや影響が大きい地域であると言えます。食習慣においても、ちゃんぽんや皿うどん・豚の角煮など、和洋中の合わさった代表的な料理が多く思い浮かぶことでしょう。

今回の調査でも、藩によるキリシタンの迫害が原因で起こった日本国内での内乱に由来する料理や、中国から伝わり長崎の伝統野菜となった食材についてお話を伺ってきました。

(古谷めぶき)

2.  調査した郷土食      

2.1  具雑煮                  前へ  次へ 目次

 お雑煮といえば、日本全国各地でそれぞれの特徴を持ったお正月料理という印象をおもちではないでしょうか。しかし、長崎県の具雑煮はお正月限定というよりは、一年中お祝いごとなどの際に食されるものなのだそうです。

写真をご覧いただいて気づかれるでしょう、とにかく具だくさんなのです。

長崎県の中でも地域やご家庭ごとの違いはあるようですが、代表的には「丸もち・鶏肉・大根・人参・白菜・唐人菜・里芋・蓮根・水菜・ごぼう・高野豆腐・焼きアナゴ・乾燥しいたけ・かまぼこ・ゆずの皮」が用いられるそうです。ここに挙げただけでも15種類!!どうしてこのような具だくさんのお雑煮が生まれることとなったのでしょう。

 

 江戸時代の初期の島原藩において、百姓の酷使や過重な年貢負担、それに加えて藩によるキリシタンの迫害などが原因となり、日本の歴史上最大規模の一揆とも言われる島原の一揆が起こりました。

 一揆軍の総大将であった天草四郎が3万7千の信徒達と共に原城に立て籠もった際に、農民達に もち を兵糧として貯えさせておき、山や海から様々な材料を集めて雑煮を炊き、栄養をとりながら約3ヶ月も戦った時のものが始まりと言われています。
 これをもとに文化10年(1813年)に初代糀屋喜衛ェ門が味付に趣向をこらして生み出したのが現在の具雑煮のはじまりと伝えられています。

 

 用いられる食材のひとつひとつにも縁起の良い意味が込められているそうです。丸もちは「角がない」ことや、ついたお餅を「切らずに」いただくこと、蓮根に開いたいくつもの穴からは「先を見通す」という意味が込められていることなど。これは長崎県に限らず、全国のお雑煮にも込められた思いですね。

 

  また、あごだしを用いることも長崎県のお料理の特徴のひとつだそうです。9月ごろになると、長崎県北部に位置する平戸でトビウオが大量に集まり、これを加工してお出汁として召し上がるそうです。あごだしには「焼きあごだし」「あごだし」の二種類があり、新鮮なうちに焼いて作る焼きあごだしと天日で乾燥して作るあごだしがあります。長崎県では古くからいりこだしが多く使用されていましたが、五島列島や平戸等の地域では古くからあごだしが使用されていました。近年のあごだしブームにより、広く県外にも知られる事となりました。しっかりとしたうまみを持ちながらも、しつこさのない上品なお味で、とても美味しいお出汁でした。

(古谷めぶき)

<調査協力>

島原半島食と農を支える伝承者ネットワーク 代表 永井恵美子様

 

 2.2  ぶらぶら漬                               前へ  次へ 目次

 続いては、長崎県の伝統菜である「唐人菜」を用いたお漬物をご紹介いたします。 唐人菜、ご存じですか?

 

 もともとは中国の山東省から伝来したもので、ちりちりとした白菜のような見た目をしています。11月の下旬から12月にかけて収穫されて、前に紹介した「具雑煮」の具材としてもかかせないお野菜であったそうです。

 

 しかし、白菜に比べて病気に弱いことや、生産できる時期が限定されていることなどから、生産数はとても少ないのが現状だそうです。それを克服するために、唐人菜を塩漬けにしてお漬物にされたことが始まりだそうです。

 

それを温かいご飯やおかずに合うように改良されてものが現在の「ぶらぶら漬」です。今や唐人菜の生産量のうち99%がぶらぶら漬のために用いられているということでした。

 

 長崎県の大切な伝統菜、その生産者を守り続けるという熱い思いの込もった、美味しいだけではない!素敵なお漬物でした。日本の伝統食を守っていくことについて考えさせていただく機会となりました。

(古谷めぶき)

<調査協力>

株式会社 ミヤタ
長崎県大村市富の原2-383-1
http://www.miyata-nagasaki.co.jp/index.html

 

 

 

 

  2.3.  撥ね木搾り製法(日本酒)                     前へ  次へ 目次

 日本の酒づくりには様々な方法がありますが、そのなかでも古くから変わらずに受け継がれ、今や日本全国で僅か6軒のみ残る「撥ね木搾り」という製法を用いた日本酒について取材させていただきました。

昔から、お酒を造る際には「寒造り」と言い、冬の時期に造ることで、雑菌を少なく抑えたり、品質を上げたりすることができ非常に良いとされていました。しかし、現代では機械による温度管理や、衛生管理技術の向上により、季節に左右されることなしに酒造りが行われるようになってきました。そのような設備を使用せずに酒造りをする、11月から半年間続くシーズンの杜氏さんたちの重労働はうかがい知れないものですね。

 機械による搾りに対して撥ね木製法では、お酒のもととなる もろみ を搾りきらないことで、とてもまろやかな、そしてふくよかな味わいになるそうです。

「搾りきらない」ことによって、最後に残る嫌な味を搾り出さず、「純」な味わいの酒が生まれてくるのだそうです。

 

 さて、その撥ね木搾りとは具体的にどのような製法なのでしょうか。

 撥ね木製法とは、てこの原理を応用した圧搾による酒搾りの方法で、8mもの巨大な一本の木を天井からつるし、その重みとてこの原理によって微妙な圧力をかけて丁寧に搾り上げます。

 まず酒袋にお酒のもとである もろみ をつめて、槽(上の写真に見える四角い船のような床下のスペース)と呼ばれる大きな枠の中に敷き並べます。

その上から蓋をし、撥ね木を使って圧力を掛けて搾り出します。

 この作業を3日間かけて何度も繰り返し、やっとお酒の搾りの行程が完了します。この方法は吉田屋さんが創立した大正6年からはじまりましたが、時代の流れと共に一度は途絶え、20年程前に復活したそうです。

 搾り現場の他にも、お酒造りの宝物の詰まった、酒屋さんの屋根裏部屋にもお邪魔させていただきました。

撥ね木搾りの盛んであった当時では、酒蔵の屋根裏部屋に酒樽を手づくりする職人さんが住み込みで作業をされていたそうです。確かに2mを超すような酒樽を、新調や修理をするために離れた場所で作業をして運ぶよりも効率がよさそうですね。

また、屋根裏に施された引き戸は床面に接地しない吊り扉となっており、重い道具を運ぶ際に足や道具につまづくことのないバリアフリー設計となっていました。

屋根裏からその下の階に位置する酒蔵を繋ぐ階段では、手すりが取り外し可能になっており、空いたスペースを利用して屋根からぶら下がる滑車を利用して重い樽を運んでいたそうです。

 

最後に、麹を造る麹室を見学させていただきました。

温度管理が命とされる麹室は、40cmもの分厚い壁で覆われています。

日本における伝統的なお酒造りのなかに詰まった、道具や当時のままの建物など、宝物に溢れる空間でした。酒蔵であるゆえに生まれるひとつひとつのカタチの魅力に、当時の方々の知恵の偉大さを改めて知ることができました。

 これからのものづくりに携わる私たち世代こそ、大切な日本の知恵に目を向けなければならないですね。

(古谷めぶき)

<調査協力>

合資会社 吉田屋
長崎県南島原市有家町山川785
http://bansho.info/index.html

 

 

 

 

3. 最後に                                            前へ 目次

 今回食文化調査をさせていただいた長崎県では、和・洋・中の混ざった独特の食分化が根付いており、有名な歴史上の出来事や当時の貿易関係から生まれた料理や食材を知ることもでき、とても有意義な時間となりました。
 そういった歴史を持った貴重な食文化も、機械化や市場性重視の生産が進んだことによって、その生産の担い手が急激に減少してしまっている事実を目の前に感じました。人口の都市集中・製品の大量生産に伴う食の一般化・大きいもの勝ちの流れのなかでも、大切な文化を守っていく、よいものを残していくのには、私たち若者世代ひとりひとりの意思と行動が重要になってくるのだろうと、責任を感じました。
 グローバル社会であるからこそ、自らの文化に誇りを持って、世界に売り出していくことのできる人間になりたいです。

 永川様には、具雑煮の取材のみならず、島原の歴史やその当時の女性の暮らしについてまでもお話頂きました。女性が思う通りに活躍することが困難であった時代に、ご自身の意思を強く持ち活動を進められて、島原の女性の暮らしを改善するに至った経緯には同じ女性として感銘いたしました。リケジョなどと呼ばれ、女性がキャリアを積むことも助けていただける世の中があることに、永川様をはじめとする先駆者の方たちに感謝の気持ちが溢れました。

 (株)ミヤタの宮田社長には、長崎の伝統野菜である唐人菜の99%を担う使命感をお話しいただきました。今や全国規模に拡大したぶらぶら漬ですが、お客様に喜んでいただくことをモットーに、生産も加工も国産にこだわり抜くご様子には、ただの商売ではない、地元愛を持った経営の魅力を感じました。唐人菜を育てる農家の方々、それを加工される従業員の方々、販売業者の方々、そして最後にぶらぶら漬を楽しむお客様。ぶらぶら漬に係る全ての方々の喜びを大切にする、素敵な御姿勢を学ばせていただきました。

 吉田屋の吉田社長には、大正時代から代々引き継がれる大変貴重な酒造りの道具を拝見させていただきましたと同時に、当時から残される貴重な家財もお見せ頂きました。戦前から戦後にかけて変遷を続けたひな人形や、戦時中に受けた空爆の被害のお写真など、文化財ともいえる貴重な御家宝に溢れていました。戦争も越えて残され続ける責任感と、それを伝えてくださることが大変ありがたく、多くを学ばせていただきました。

 今回の取材に当たって、様々な道をご経験され、それぞれにご活躍される方々の貴重なお話を伺うことができました。長崎の食文化を初めとして、多くのことを学ばせていただくことができました。突然の依頼にもかかわらず快く引き受けて下さったお三方、このような機会をくださったぐるなびや山田研究室の方々には心から御礼申し上げます。ありがとうございました!

(古谷めぶき)

 

参考資料

たびらい 長崎観光情報 
http://www.tabirai.net/sightseeing/nagasaki/info/about/weather.aspx

具雑煮 wikipedia 
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%B7%E9%9B%91%E7%85%AE

長崎webマガジン「ナガジン」
http://www.city.nagasaki.lg.jp/nagazine/nabussan/121112/index.html

 

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