「微生物ゲノム×地域」で 食のブランディング

長野県の食文化

長野県(尾張藩、松代藩、諏訪藩、小諸藩)の食文化

調査班:長谷川、王 調査日:2017年9月19日-20日

目次

1. 風土・歴史

2. 調査した郷土食

2.1. 日本酒
2.2.
 すんき
2.3. 信州味噌
2.4. おやき

3. 最後に

1. 風土・歴史                     次へ 目次

信州信濃の国と昔の名前で愛称される長野県は、日本の中央部に位置する内陸県で、広さは、全国第四位です。「日本の屋根」と呼ばれるほど、県境に標高2000m – 3000m級の高山が連なり、内部にも山岳が重なりあう急峻で複雑な地形で、間のいくつかの盆地を中心とした地域が形成されています。大半は内陸部の気候ですが、北部は日本海側の気候の特徴も有します。また、古く大和朝廷の時代には、東山道が、南北に縦貫していて、東夷軍略の道であった信州には、今でも700万人の信者が参拝するという善光寺を初め、大国主命の第二子建御方神を祀る信濃国一之宮諏訪大社など、数多くの名所旧跡をもっています。このような自然と歴史である長野県は毎年大勢の観光客にその魅力を感じさせ続けています。

尾張藩

尾張には木曽三川によって形成された濃尾平野が広がり、愛知県西部にあって尾張一国と美濃、三河及び信濃(木曽の山林)の各一部を治めた親藩です。その中、今回取材した木曽地域は山間地帯であり、大規模な農業経営ができる環境ではありませんが、冷涼な気候を活かした高原野菜の栽培がされていました。商業に関しては、尾張藩の木曾地域で深い山々とそこから産出される木材資源が生活に産業に大きくかかわってきました。また、江戸中期に始まる御岳信仰から、中央本線の開通によって、ますます隆盛を迎えます。そして、日本有数の馬市場の開催地として、昭和中期まで木曽福島の街は大きな賑わいを呈していました。
交通網として名古屋城の北側に中山道が、南側に東海道が通り、これらにつながる街道も発達したほか、名古屋城北側を通る庄内川やその支流を利用した内陸水運、知多半島を中継地点とした海運も発達したため、商業や工業が盛んな地域でもありました。知多半島に酒や酢をはじめとする醸造業が多く成立したのも、こうした背景によって廻船業が発展したため、原料や商品の運搬が促進されたからだと言われています。

松代藩

松代藩は、江戸時代、信濃国埴科郡松代町(現在の長野県長野市松代町松代)にあった藩で、川中島の合戦のときに武田側の砦として築かれ、江戸期には北信濃一の城下町として栄えました。川中島とは、長野盆地を流れる千曲川と犀川が合流して信濃川となる地域一帯の地名で、善光寺平(長野盆地)の中心に位置します。松代藩は広い善光寺平の南端に空いた穴ぐらのような場所にひっそりと佇んでいます。古くから善光寺の門前町で、同時に北国街道の宿場町や市場町としても栄え、北国街道は佐渡の金銀の輸送に使われた『金の道』、そして善光寺へ参拝するための『信仰の道』で、宿駅などが整備され、五街道に次いで重要視された街道でした。

諏訪藩

江戸日本橋から下諏訪まで続く甲州街道の中継地、宿場町として、さらに高島城の城下町として繁栄しました。江戸時代には13軒もの酒蔵が軒をつらね、現在でも400mの街道に5軒の酒蔵が続いています。9月半ばに取材に伺った際、東京から上諏訪の地におりたって肌寒く感じられたように、冷涼ですが、乾燥性の気候であり、冬場も気温は低いものの、雪は少ないことがこの地域の特徴となっています。

                                                  

小諸藩

江戸から21番目の「小諸宿」が設けられて以来、小諸は江戸時代の北陸道である 北国街道の宿場町として参勤交代や善光寺詣での要衝として栄えました。さらに、小諸城 の城下町としても栄え、商業の発展が進み、東信随一の経済圏を形成しました。旧街道沿 いの本町、荒町、与良町界隈には現在でも宿場町の面影が残り、酒屋、味噌屋、そば屋が江戸時代からの建物で営業を続けています。また、小諸市は雄大な浅間山の南斜面に広がり、中央部に千曲川が流れる自然豊かで歴史と 文化の香る高原都市です。

        
      

 

2.調査した郷土食

2.1.日本酒                   前へ  次へ 目次

今回は長野県内で3番目に歴史が古く、1662年創業の宮坂醸造株式会社に伺いました。

霧ケ峰のふもとに位置し、広大な諏訪湖のすぐ近く、風光明媚な景観のなか、上諏訪駅から直線でつづく400mほどの街道に5軒もの酒蔵が並び、その一つが宮坂醸造株式会社です。長野県内に酒蔵は現在でもたくさんありますが、今回は長野県の日本酒の歴史という観点でお話を伺いましたのでご紹介します。

 

2.1-1. 諏訪での日本酒醸造、長野県の日本酒

宮坂醸造は、諏訪を治める諏訪氏の家臣であった宮坂家のご先祖様が、戦国時代、諏訪氏・武田氏・織田氏の戦乱に翻弄された末、刀を捨てて酒屋となったのが始まりだそうです。

そして、霧ケ峰からの豊富な伏流水、清涼な空気、標高の高さによる冬場の冷え込みなど酒造りに非常に適した気候もあいまって酒造りが発展していったそうです。長野県内では酒造りが今でも各地で盛んに行われていますが、それぞれに特徴、違いがあり、その理由の一つとして長野県の地形が大きく関係しているのではないかということでした。長野県は信州と聞いてイメージするとおり、山がちな地形で一つ一つの山が、標高が高く、現在のように交通網や動力の発展していなかった時代にはそれぞれの地域で必要なものが作られ、それぞれの文化圏が形成され、それぞれの日本酒が造られたということでした。

2.1-2. 諏訪杜氏の歴史

酒造りのすべてを担う杜氏にはその土地、その土地で杜氏の集団が形成されており、その一つに諏訪杜氏がありました。大正6年(1917年)ごろまでは諏訪の酒造では地元諏訪の杜氏で占められていましたが、当時広島杜氏の全盛時代でした。そこで諏訪では広島から杜氏を呼んで酒造りをしていましたが、技術の継承がなく、広島から杜氏を呼ばないといい酒造りができない苦境に陥りました。その中で宮坂醸造では広島杜氏を雇うお金がなかったため、自前で酒造りに努めた結果、窪田千里氏、久保田良治氏という傑出した人物が現れ、諏訪杜氏の中心的人物となって技術が向上していったそうです。今でも講習会や研修など酒造りの技術向上に寄与しているそうです。

2.1-3. 七号酵母の誕生

日本酒は米と米麹をかけあわせることによって糖化が行われ、その糖化によって生成されたブドウ糖を酵母がアルコールに代謝する二つの反応が同時におこなわれる並行複発酵によって作られます。この二段階目の反応を担う酵母は各地の蔵に住みついているもの以外に、醸造協会が全国各地の優秀な酵母を集めて培養し、協会酵母として各地の酒蔵に配布しているものがあり、そのうち宮坂醸造の蔵で発見され、現在でも多くの酒蔵で利用されているのが七号酵母です。七号酵母はその酒の醸し出す品の良い香りからファンも多い酵母です。

七号酵母は昭和21年に発見されましたが、それ以前は宮坂醸造を含め多くの酒蔵で秋田県の新政の蔵より採取された六号酵母を用いていました。そのため、七号酵母は六号酵母が蔵で変異して生まれた可能性があるそうです。

           

2.1-4. 品質へのこだわり

原材料としては、水は諏訪蔵では霧ケ峰の伏流水、富士見蔵では入笠山の伏流水を用いており、米も長野県産の美山錦、ひとごごちを用いていてやはり長野県産のものを多く用いているそうですが、吟醸系の酒に兵庫県産の山田錦も用いており、産地、品種のはっきりした酒米を用いて品種を追及しています。

また、フルーティーで女性にも人気の高い生酒が現在広く市販されていますが、以前は、もろみを絞るときに杜氏しか飲めない蔵限定のものでした。1980年ごろからクール宅急便がはじまり、それをいち早くとりいれ、生酒として販売するようになり、力を入れているそうです。

2.1-5. お味

せっかく酒蔵に来たということで試飲させていただきました。今回のテイスティングは下記6種類です。基本的に全部すごくおいしかったのですが、以下が感想です。

①アーティストラベル2017
アルコール度数13%の低アルコール酒で、低アルコール酒は旨味や厚みが少ないと思っていたのですが、飲んでみてびっくりで真澄らしい飲みやすさはそのままに、華やかな香りとともに旨味が押し寄せ非常においしかったです。

②純米 奥伝寒造り
僕が日本酒にはまるきっかけになったお酒で、印象深いです。吟醸酒には分類されていませんが、60%まで磨いた米を用いており、生酒ではないのに7号の華やかな香りが感じられ、飲むと甘さと旨さが押し寄せます。それでもしつこくなく、食中酒として長く飲み続けたいお酒です。

③純米大吟醸 山花
大吟醸らしい洗練された味わいが楽しめます。

④山廃 純米吟醸ひやおろし
純米吟醸のきれいな味わいのなかに山廃の深みがあります。風味が強すぎるわけではなく、飲みやすい山廃に仕上がっています。

⑤MIYASAKA 美山錦
まずラベルが7号酵母を模したすばらしいデザインです。これも7号酵母を用いているのですが、②純米 奥伝寒造りよりも香り、酸味ともによりとがったような印象で、キレが良く、味の強めの料理にあわせていただきたい一品です。

⑥梅酒
自家製の焼酎で作られた梅酒で真澄の日本酒のように非常にすっきりしながらもあつみのある味で梅の上品な香りが口に残ります。家でつくる濃いめの梅酒も好きですが、それとは対照的な洗練された味わいですいすいすすんでしまうような一品でした。

             

試飲させていただいたお酒(右から①~⑥の順番)

霧ケ峰に抱かれ、諏訪湖のすぐそばにあるという自然に恵まれた場所で現在でも技術の向上を努めており、7号酵母発見の蔵としての誇りも感じられました。諏訪五蔵での呑み歩きイベントも行われているそうなので今度ぜひ参加してみたいです。

<調査協力>
宮坂醸造株式会社
長野県諏訪市元町1-16
https://www.masumi.co.jp

 

 

 

 

2.2.すんき                   前へ  次へ 目次

「すんき」は、長野県民でも木曽地方以外の人にはあまり知られていなかった、赤かぶの葉を使った木曽地方で昔から作られている伝統漬物です。漬物といっても食塩も砂糖も一切使用せず、植物由来の乳酸菌で発酵させてあるすっきりとした酸味を持つ、一般的な漬物の概念を越えた、全国的にも珍しい味わいです。その独特な味を楽しみにしながら、今回の取材先の野口様のところに伺いました。

野口様からすんきについていろいろお話を伺いました。まず、すんきが生まれた経緯に関して、木曽の御獄山の麓の村々では、「米は貸しても塩は貸すな」と伝えられたほど、塩は貴重でした。さらに、海抜が高く温度が低い木曽高原では、赤かぶが何種類も育てられています。すんきは、まさにこの環境でこそ、先人の知恵から生まれた保存食でした。

すんきの一番の特徴は製造過程では「塩を使わない」ということです。まずかぶの菜を洗い、かぶの茎と根元を刻み、沸騰した湯の中でさっと湯通します。その後、桶の中に、湯通ししたかぶ菜とあらかじめ作っておいたすんきの種を交互に加え、この作業を繰り返します。最後に手で押し込んで、桶を新聞紙と風呂敷で包んで、一晩保温します。翌日はべっ甲色になり、かぶの部分はピンク色になり、一週間くらいすれば出来上がりです。

そして、面白いことに「すんきは手を嫌う」ということもあるそうです。というのは、漬け込む人によって酸っぱくなる人とならない人がいるということです。この村ではなぜかすんきをどんなに作っても酸っぱくならない人がいるようで、その人たちは一切すんきに手を出さないようです。そして、「男の手か、子どもの手がよい」という言い伝えもあるようで、とても不思議と感じました。

平成19年、「木曽の赤かぶとすんき」が国際スローフード協会の「味の箱舟」に認定され、そしてその独特な製法と癖になる味で、ますます多い人に知られるようになっています。そして、野口様は木曽町ふるさと体験館のひとりでもあり、すんきがもっとたくさんの人に知られ、愛されるように、毎年すんきを作ったり、木曽に来る観光客にそのおいしさを感じてもらっています。

野口様の取材が終わった後、すんきの乳酸菌の研究が行われている木曽町地域資源研究所に向かい、研究所にいる東京農業大学の名誉教授でもある岡田先生にすんきの乳酸菌のお話を伺いました。

先生のお話によりますとすんき1gあたり、なんと数億の乳酸菌が棲んでいて、そして主要な乳酸菌はファーメンタム菌とデルブルキー菌とプランタラム菌とパラブフネリ菌この四つです。そして、その中のファーメンタム菌がすんきのうまさのカギとなるコハク酸の産生の役割を果たしています。コハク酸は貝のお汁に含まれるうまみ成分ですが、面白いことに、多ければ多いほどおいしいわけでもなく、0.1%を超えてしまうと苦味を感じるのです。ですから、他の菌から生成する乳酸と酢酸とファーメンタム菌から生成したコハク酸のバランスもまた非常に重要で、先生は最近主要な四種類の乳酸菌の生育の構成比の研究も行っているそうです。

そして、すんきの抗アレルギー効果はすでに動物実験で証明されたらしく、また、すんきにしか存在しない乳酸菌なども発見され、それぞれすんきにちなんだ名前が付けられています。

そのほか、先生はすんきにある乳酸菌で発酵ドリンクの開発の研究や、すんきの品質向上の研究など、木曽町にある珍しい味をもっと多くの人に味わってもらうために努力されています。 

 

<調査協力>

特定非営利活動法人ふるさと交流木曽
長野県木曽郡木曽町新開6959
https://taikenkan.jp

 

 

 

 

木曽町地域資源研究所所長 岡田早苗様
長野県木曽郡木曽町福島2326-6
木曽町役場内地域資源研究所
http://www.town-kiso.com/chousei/machidukuri/100246/100090/

 

 

 

 

2.3. 信州味噌                  前へ  次へ 目次

信州といえば味噌ということで信州味噌の取材に小諸市にある1674年創業の信州味噌株式会社に伺いました。信州味噌は淡色辛口な米味噌であり、全国のシェアの半分近くを占めており、そのルーツを探りました。

                                      

2.3-1.信州味噌の起源

 

信州味噌のルーツには複数の説がありますが、信州味噌株式会社森社長によりますとその中の一つとして、覚心(1207年~1298年)という長野県松本出身の鎌倉時代の僧の存在があるそうです。覚心は29歳の時に奈良東大寺にて受戒、高野山で真言密教を学んだあと、鎌倉、京都など全国各地で修行しました。さらに1249年に入宋し、修行を行うとともに味噌づくりも学んだとされ、その技術とともに1254年に帰国し、その後、西方寺(後の興国寺)の開山となり、紀伊の由良に居を定めました。そして紀伊地方での味噌の普及に貢献するとともに、故郷である信州に時折帰った際に佐久の安養寺にて味噌づくりを教えたとされます。

この信州味噌に縁の深い覚心と安養寺にあやかって最近では安養寺ラーメンという信州味噌を使ったご当地ラーメンが生まれ、各店舗が趣向を凝らしたラーメンを作っています。

2.3-2. 信州味噌のこだわり

米味噌である信州味噌は原材料として大豆にくわえて米麹も用い、この米麹の割合によって味が異なってくるのですが、信州味噌は、比較的米麹の割合が少ないため辛口のものが多いそうです。また、その色として淡色のものが多いのは熟成期間が比較的短いものが多いからだそうです。原材料の大豆に関しては、元々大豆の日本の国内自給率が低いということもありますが、国内にこだわらず、海外まで産地に直接訪れているそうです。中国の白眉大豆という品種が味噌に適しているということで長年契約されているそうです。昨今産地が中国というだけで品質を疑問視する声もありマーケティング的観点からはあまり芳しくなくとも品質を追い求めて中国産大豆を用いているとおっしゃっており、おいしさ、安全へのこだわりを感じるとともに、自分も食品に関して不確かな情報にだまされず品質を見極める目が必要だと実感しました。

 

<調査協力>
信州味噌株式会社
長野県小諸市荒町1-7-11
http://www.yamabukimiso.co.jp/index.html

 

 

 

 

2.4. おやき                   前へ  次へ 目次

おやきは小麦でできた皮で、味付けしたさまざまな具材を包んだ長野県発祥の郷土食です。

今回はそのおやき取材に、小川の庄縄文おやき村を訪問しました。まずおやきのレポートをする前におやき村にたどり着くのが大変でした。長野駅から車で伺ったのですが、おやき村はちょっとした山の上にあり、くねくねした道を上っていきようやくたどりつきました。この少し街からはなれた立地はおやきを本格的な雰囲気の場所で味わってほしいという創業者の思いからだそうです。  

 

 

 

 

 

 

森に囲まれ、少し違う空間に来たかのように感じながら店内に入り、奥へ進むと部屋の中央にいろりがあり、大きな鉄鍋がつるされていました。お話しをうかがうとおやきはいろり文化と密接に関係しているということでした。現在一般に売られているおやきは外側の皮を蒸して作ったものが多いのですが、本来はいろりでじっくりと焼いて作っていたのだそうです。

まず中央の鉄鍋で5分ほど焼き、その後鉄鍋を囲むようにしておかれた鉄の格子の上におやきを移動させて20分ほど焼きます。この後半の焼きが重要で、遠赤外線効果を利用してじっくり焼くことで外はカリっと香ばしく、中の具材はふっくらおいしくできあがるそうです。実際にその場でなす、あずき、野沢菜の3種類のおやきをそれぞれいただいたのですが、それぞれおいしくびっくりしました。なすはしっかりとした味噌味がついており、やはり信州ということとおやきによくあうということで味噌をよく使うとのことでした。また、中の具材は、春はふきみそ、冬は卯の花など季節ごとに変わり、旬を意識して作られているそうです。 

 

             
続いておやきの発祥に関して、なぜ長野県で生まれたのか伺いました。長野県の西側の地域では傾斜があり、稲作のできない地域が多くそうした地域では小麦、大麦、そばなど穀物の栽培が盛んに行われていました。それらの穀物とその時々にできた野菜を組み合わせ、さらに昔から家にあったいろりの文化と交わることでおやきができたのではないかということでした。一汁一菜という言葉がありますが、お味噌汁と野菜たっぷりのおやきで一汁一菜ができてしまうということで立派な一食として献立になっていたそうです。実際3個ほどいただいたのですが、お腹いっぱいになりました。

また、現在でも一般の家庭でつくられているのか尋ねたところ、いろりで作ることは無くなっていますが、スーパーでも容易におやき粉が手に入るようになり一般家庭でも手軽に作られるようになりました。いろりのある家庭の減少、作り方を知っている人が少なくなってきたこと、また街中でおやきを売る店が増えてきたことなど現代的な事情が背景にあるようです。学校では食育も兼ねて、給食に採用したり、おやき作り体験を課外授業に取り入れたり、近隣はもちろんのこと、長野県内では広まっています。普段の食事に関して忙しさにかまけて出来合いのものを買ってきてしまうことも多いですが、普段食べている料理や、含まれている調味料などの背景に関して少しでも知り、できる範囲で自分で調理することが伝統や歴史を知ることにつながるのではないかと思いました。

 

<調査協力>
小川の庄縄文おやき村
長野県上水内郡小川村高府2876番地
http://www.ogawanosho.jp

 

 

 

 

3.最後に                      前へ 目次

今回の取材では、長野、小諸、諏訪、木曽と各取材先でそれぞれ異なった地域を訪れました。
取材のなかでお話を聞かせていただき、また実際に現地で周辺を歩く中で長野県内でも各地域に気候の違いや、発展の仕方に大きく違いがあり、それらが食文化形成に顕著に影響していることがわかりました。特に街道の整備、宿場町としての繁栄など政治的な影響が大きく、食文化は複合的な要因で発展することがわかりました。ある食品にまつわる歴史、気候、政治などをキーワードとした旅も一つの選択肢としてあってよいと思いました。地域への理解を深めるとともに地域への経済的支援という観点からもそうした食にまつわる複合的知識をパッケージ化した旅の提案もあるべきではないかと感じました。 (長谷川)

今回の食文化調査を通じて、一番感じたことは、地域の食文化はその地域の歴史や地形、そして人の気質に密接に繋がっていることです。どの調査対象もその地域の独特な背景で生まれ、時代の変化とともに改良され、その地域の人と一緒に成長して行きます。また、生産者と話したことで、郷土料理への誇りとより多くの人に自慢の郷土料理の美味しさを感じさせたい気持ちが強く伝わりました。情熱に郷土料理を語っていた取材者を見て、少しでも多くの人に知ってもらえるように、この食文化調査が役立てられたらと思いました。(王)

参考資料

・宮坂醸造株式会社HP
(https://www.masumi.co.jp/history/#roots)
・「宮坂家」(書籍・非売品)
・「醤油・味噌・酢はすごい」小泉武夫著 中公新書 
・農林水産省HP 大豆のまめ知識
(http://www.maff.go.jp/j/seisan/ryutu/daizu/d_tisiki/#Q1
・まちあるきの考古学 松代
(http://www.koutaro.name/machi/matsushiro.htm
・Wikipedia おやき
(https://ja.wikipedia.org/wiki/おやき_(鳥取県))
・JA長野県HP
(http://www.iijan.or.jp/oishii/area/post-438.php)
・ふきっ子おやきHP
(http://www.fukikko-oyaki.com/hpgen/HPB/categories/1399.html)

 

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