愛媛県(宇和島藩)の食文化
調査班:正田真郷、古谷めぶき 調査日:2018年3月19-20日
1. 風土・歴史 次へ 目次
愛媛県土では、北側に瀬戸内海に面して平野が広がっており、南西部は宇和海に面しリアス式海岸が広がっています。さらに、伊予八藩と言われるように、海・山両方に恵まれた地形から地域ごとに気候が異なり、独自の多様な食文化が育まれてきました。海岸沿いでは養殖量日本一を誇る鯛をはじめとした海の幸が豊富で、内陸部は高原が広がっており、高原野菜が有名です。
今回の調査ではそんな自然に富んだ地形や気候から生まれた調味料や、伝統料理についてお話を伺いました。
(正田真郷)
2.調査した郷土食
2.1. 鯛めし 前へ 次へ 目次
鯛めしと聞いて、どのようなお料理を想像されますか?
私は、今回の調査を行うまでは、鯛と白米を一緒に炊いていただくお料理というイメージを持っていました。しかし、今回調査させていただいた鯛めしは、生のお刺身を生卵と調味料で和えてご飯にかけていただくというものでした!というのも、愛媛県では地域によって鯛めしの調理法が異なるそうで、今回 私たちがお邪魔した宇和島周辺では生の鯛を、その他の地域では炊いた鯛の姿そのまま、もしくはほぐし身を用いるそうなのです。
さて、生のお刺身を使った鯛めしは、どのように生まれ、現在に至るまで愛媛県で長く親しまれる郷土料理となったのでしょうか。
遡ること平安と鎌倉のはざま、源平合戦の頃に、藤原純友という海賊が愛媛県の宇和島で独立を試みて千艘以上の船を操り回していました。彼が長い長い船の上での生活の間に、お刺身とご飯とお酒、面倒なので全て混ぜて食べた、これが鯛めしの始まりだそうです。
実際に、インタビュー前に鯛めしをいただきました!
ほづみ亭さんの鯛めしは、醤油・みりん・お酒・秘伝のだし・生卵・生鯛を、白米にかけていただくという極めてシンプルなスタイルでした。
鯛の刺身とだしをかき混ぜ、いざ、実食!
しっかりとした出汁や酒みりんの旨味が効いて、歯ごたえのある新鮮な鯛と濃厚な卵の絡みがたまらない、素材それぞれの美味しさが凝縮された最高の一品でした。鯛の淡白な味に調和するよう考え抜かれたお出汁を使われているということで、シンプルな調理法の一つ一つに、ほづみ亭さんのこだわりが詰まっているのですね。
そういった鯛めしが、各家庭ごとの特徴を持ちながら愛媛県の家庭料理となり、今回取材させていただいた ほづみ亭さんのような料亭でも出されるものとなったそうです。
愛媛県では元々鯛の養殖が盛んで、その臭みを抑えるためにも、旨味を増すためにも、生卵の黄身でマリネするという調理法が用いられたそうです。現在では養殖の技術も進み、天然物も養殖物も区別がつかないほどの品質を持ち、お刺身にしても美味しくいただけるそうです。また、鯛とご飯を和えて食べるという極めて原始的な作り方であるために、現在全国で食されている鯛めしの原型なのではないかとも考えれられているそうです。
そのように、愛媛県の代表的郷土料理と言える鯛めしですが、現代ではそれを調理する家庭が減少を続け、地元出身でも召し上がったことのない方も多くいらっしゃるのだそうです。この現状の中、大切な愛媛の食文化を守っていく立場として、料亭の後継をされる方たちへの熱い思いを伺いました。
「宇和島の鯛めしは、シンプルな調理法で、出先でも変わらぬ味を再現できます。このような食文化を残してくれた先代には大変感謝しています。奈良や京都にも地方性を持った華やかな食文化がありますが、各地方で食の修行を積んで帰ってきた今、宇和島の鯛めしの魅力を改めて感じました。ほづみ亭のブランドとして、このシンプルな中にこだわりが詰まった鯛めしを残して行きたいです。」
小さい頃から当たり前のように触れてきた食文化を、他文化に触れて改めて見つめ直してその魅力に気づくとは、とても素敵で幸せなエピソードですね。私たちグローバル化を進めていく世代にも、日常の当たり前の中に残る、地元の魅力をもっともっと大切に残していく使命があるだと、気づかせていただくことができました。
愛媛県に訪れた際には、ぜひほづみ亭さんで、伝統の鯛めしをいただいてみてください!元旅館をされていた歴史を感じる建物が川沿いに佇む様子は、夜の姿も一段と美しかったです。
(古谷めぶき)
<調査協力>
ほづみ亭
愛媛県宇和島市新町2-3-8
2.2. 麦味噌 前へ 次へ 目次
四国では一般的なあまーいお味噌。麦を使うとお味噌が甘くなりますが、中でも特に麦を多く用いて味噌造りをされているという井伊商店さんにお話を伺いました。時期にも寄るそうですが、その量なんと93%!!
井伊商店さんでは昔から変わらずに手作業でお味噌を作られているそうですが、お味噌屋さんの作業とはどのようなものなのでしょうか。
蔵の中に入ってまず、驚いたことが。入って見ると、天井や壁に菌がびっしり!!!この菌の違いによって、各店の味が決まってくるそうなのです。
朝は7時に起きて、はだか麦という麦を水洗いして水に漬けておきます。 ボイラーを用いて麦を蒸して、粉砕機にかけて菌を付きやすく、パラパラの状態にします。人肌より少し暖かいくらいで種麹を付け、もろぶたという木の箱に移します。
そのもろぶたを蔵の中に重ねあげて、蔵の天窓・引き戸・開き戸の微妙な開閉状態によって湿・温度を調節します。蔵の中の天窓と、隣の部屋側の欄間の部分が上部の空洞で繋がっており、自然通風をとっているそうです。蔵の内部の板張りの仕上げにも、調湿効果があるそうです。
翌朝にもろぶた一つ一つの発酵状態を確認し、畝のような形状を作ってなるべく空気と触れる面積が大きくなるように調整します。
十分に発酵が進み、麹となると、塩切りという作業をして半日寝かせます。それをミンチ状に潰して桶に移し、自然の成り行きにまかせ発酵・熟成させます。
さて、どのようにして麦のお味噌が多く作られるようになったのでしょうか。
もともと、宇和島では美味しいお米も取れました。その裏作として、水田を有効活用するために麦を味噌に用いるようになったそうです。また、お米は年貢などのために納められた高級品で、下級の農民には麦が多く食されており、それを残さず利用するために味噌にも使用されたそうです。
写真をご覧いただいてお分かりの通り、宇和島の麦味噌は、白いのです。これは発酵熟成期間の長さに寄るのだそうですが、熟成期間が長いほど、お味噌は赤みを増していくそうなのです。したがって、夏を越す麦味噌で3ヶ月、冬を越す麦味噌で7ヶ月ほどと、比較的発酵熟成期間が短いです。その発酵熟成期間の短さによって、麹の香りの豊かなお味噌に仕上がり、蔵中が栗のようなまろやかな香りで満たされていました。お味噌汁にしていただく際にはいりこだしがよく合うのでおすすめだそうです。
井伊商店のお客様の中には、好みの熟成期間で仕上げるために、ミンチ直後の段階で持ち帰られる方もいらっしゃるそうです。元々は各家庭でそれぞれのこだわりを持って作られていたお味噌ですが、お客様の年齢層も上がり、味噌作りのベースは井伊商店さんにお任せして、そのアレンジを楽しむ方も増えてきているそうです。
生きたお味噌との対話を楽しめるお味噌作り。食品の機械生産が進む今ですが、出来上がったものを食べるだけでなく、それを つくる 段階から食を楽しむことが、体だけでなく心の栄養にもなるのでしょう。
(古谷めぶき)
<調査協力>
井伊商店
愛媛県宇和島市鶴島町3-23
http://iimiso.com/
2.3. 日本酒 前へ 次へ 目次
凍った日本酒を飲まれたことはございますか?
”凍結酒”とは、酒造でしか味わうことのできなかった香りや味を消費者にそのままお届けするために、低温で保存し、出荷前に凍結し、消費者の手元に届いて初めて解凍され、シャーベット状にして飲む日本酒です。聞いただけでも涼しげで美味しそうな凍結酒。そんな凍結酒を造られている千代の亀さんにお話を伺いました。
千代の亀酒造さんの酒蔵についたと同時に、早速貴重な酒造体験をさせて頂きました。洗米、浸漬をしていましたが、その際に出ていた水の量にまず驚きました!なんとお米300kgあたりに6tものお水を使うそうです。毎日温度の異なる水を使うため、その温度によって何分間お米を漬け込むか予想を立て、お米が水分をどれだけ吸ったか目視で確認し、適切なタイミングが来たら水からあげるそうです。お米が水分を吸うと周縁部から白くなってきます。これを”目玉”というそうです。
その次にお米を蒸し、種麹をふりかけ2日間培養するという作業があります。このとき、満遍なく熱を行き渡らせて麹菌が一番活発になるように、約3-4時間おきに昼夜問わずお米をかき混ぜるそうです。。。麹菌は生きているので、生き物のペースに合わせなければならない。単純作業では済まない分、苦労も多いでしょうが、その分、出来上がる一滴一滴に我が子のような愛情が湧くのでしょう。私たちも、一滴一滴を大切にいただかなくてはならないですね。
次に冷蔵室で放冷していたお米を樽まで運び入れ、櫂入れまでさせて頂きました。冷房室には放冷するときにお米があとで剥がれやすいように麻布が敷かれていました。昔は冷房などなかったため、タンク内のもろみを冷却するのに一日中20lの氷を40個ほど作り、それをナイロン袋に入れて冷やしていたそうです。
お米を発酵タンクの中に入れ、醪の溶解と発酵を促すための櫂入れをさせて頂きましたが、水の抵抗とお米の重さが合間って、とてもハードな作業でした。
「タンクに落ちたら死ぬから気をつけろ~!」と心配していただきましたが、『ここに落ちたら何杯分のお酒が無駄になるのだろう、、』と、ビクビクしながら手伝わせていただきました。この作業を何回も繰り返すなんて!、、頭が下がります。
最後に見せて頂いたのは、槽しぼり(ふなしぼり)という製法です。現代の日本酒造りにおいては醪を絞る工程においては自動圧搾機が用いられていますが、一般的な機械では一回あたり約10時間で絞れるのに対し、この製法では36時間もかかります。ゆっくりと時間をかけて絞りること、醪を絞りきらないことにより、雑味のない、柔らかな口当たりとみずみずしくスッキリとした味わいが生まれるそうです。
槽しぼりでは醪を絞る道具(槽)の中に8l-10lくらい入る酒袋を山のように積み重ねていくのですが、最初の段では5lほど醪を入れ、3-4段目は7lに、最後の方は10lほど入れ、最後は丸くなるくらい入れていくことで、山が崩れないようにしています。高い技術が必要とされ、現代ではこのようなやり方を用いて圧搾する方法は少ないそうです。
今回の酒造体験を通して、櫂入れなどの力作業に加え、生き物である菌を相手にする大変さを伺うことで、計り知れない努力によって日本酒が造られていることを知りました。「お酒の一滴は血の一滴」とよく言われますが、実際に杜氏さんが酒造りをされる姿を目の前にして、たった1日の限られた時間であっても、その言葉の意味を感じられた気がします。千代の亀さんでは、一般の方にも酒造りの現場が公開されているそうです。受け入れ許可がいただければ、泊まり込みでの酒造り体験もできるそうなので、皆さんも愛媛県に訪れる前に、ぜひ伺ってみてはいかがでしょうか。
(正田真郷)
<調査協力>
千代の亀酒造 株式会社
愛媛県喜多郡内子町平岡甲1294-1
http://www.chiyonokame.com/
2.4. 緋の蕪漬 前へ 次へ 目次
最後にご紹介させて頂くのは、真っ赤に染まった緋の蕪漬けです。見た目がとても鮮やかで、美しい色をしています。実はこれ、自然由来のものなのです!
緋の蕪漬けは地元・松山でしか育たないと言われる「伊予緋蕪」を「橙酢」に漬けて作れられています。お酢に漬ける前は、白いカブに紫色に近い斑点模様がついたような見た目をしています。この紫色の色素はブルーベリーにも入っているアントシアニンという成分に由来するものだそうです。
もともと松山城周辺で栽培されていた緋蕪ですが、連作が続いてしまい作物が育たなくなってしまいました。30年ほど前に、緋蕪を育てるのに気候が合う別の場所を探した結果、内子町の近くで栽培することになったそうです。
加工所みのりの皆さんは、ご自分たちで緋の蕪を栽培し、加工されているそうです。お盆過ぎから種まきをして、11月下旬から収穫を始め、漬け込み作業に入ります。収穫が多い年ではお一人当たり170kgも作られたこともあったそうです!
蕪を漬け込むまでに、皮を剥いであくを抜くために水にさらし、塩漬けした後水気を切って橙酢に漬け込むそうですが、ここで一工夫。
橙酢を使うのではなく、ゆず酢を使います!
橙は内子近辺ではほぼ栽培されていない(※栽培が不可能という訳ではない)ため、ゆずを用いています。価格は少し高めですが、味も発色も良くなるそうです。ただお酢を多く入れれば発色が良くなるというわけではなく、塩との調合がうまくいかなければ、発色が悪くなってしまうようです。柚子の香りが香ばしく、シャキッとした歯ざわりで甘酸っぱい、とても爽やかなお味でした。
愛媛では赤い色で縁起がいいものとして、おせち料理では欠かせないお漬物として、また、ご飯によく合うためお茶漬けや酒の肴にと多様な場面で食され、親しまれています。
内子町の仲良しなお母様たちが、愛情込めてひとつひとつ仕上げた緋の蕪漬けです!ぜひおせちのもう一品に、仕事(研究)終わりの一杯のお供にいただいてみてはいかがでしょうか!
(正田真郷)
<調査協力>
加工所みのり
愛媛県喜多郡内子町中田渡53-1
3. 最後に 前へ 目次
私は建築学科に所属しており、その土地の風土や歴史、建物の構造や材料、人の振る舞いなど様々な面から建築について学んでいます。東工大の建築学科では食べ物・建築・人の関係性について研究している研究室があり関心を持ったため、今回から食文化研究に参加させて頂きました。
私はこの食文化調査をさせて頂く前までは、食べ物と面白い建築が見ることができれば良いと思っていましたが、私たちが実際に愛媛県に赴くことで、インターネットでは決して調べられない、食べ物の製造過程はもちろんそれぞれのお店ならではの工夫や、歴史や風土とどのような関係性を持ってきたかということなど、とても興味深い貴重なお話を伺うことができました。近年日本人の食に対する意識が高まってきているように思えます。ただ単に食べ物の質を求めるだけでなく、そのバックグラウンドも知ることで、食に対する理解や興味を深め、味覚だけでなく知的好奇心まで刺激されることで心まで豊かになるのでしょう。
小さな日本の中にも、地域ごとに気候や文化歴史を基にとても豊かな食文化が広がっていることを知りました。ほづみ亭様の石丸様が「他県に行くことで自分の故郷の食べ物の魅力を再認識された」とおっしゃっていました。特に物に溢れかえっている時代だからこそ、私たちは先人たちが培い、残してくれた宝物をしっかりと理解し、感謝しなければいけません。この文化を絶やすことのないよう、 より多くの人に知ってもらい、責任を持って後世に伝えることがこの食文化研究の価値なのだと深く感じました。今回お忙しい中快くインタビューに応じてくださった、ほづみ亭の石丸様、井伊商店の井伊様、千代の亀酒造の二宮様、加工所みのりの土居様、中田様、水田様、福岡様、水本様と愛媛県庁の山本様をはじめとして、このような貴重な機会をくださったぐるなびのスタッフの方々や山田研究室の皆様。この場をお借りして、心から感謝申し上げます。ありがとうございました。
(正田真郷)
参考資料
・松山地方気象台(http://www.jma-net.go.jp/matsuyama/ehime/tokusei.html)